• No.7018
  • 料理・グルメ

ぼうり (和歌山県/田辺市)

出典:農林水産省Webサイト(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/bouri_wakayama.html)

後醍醐天皇の皇子であり、大塔宮(おおとうのみや)とも呼ばれる護良親王(もりながしんのう)は、鎌倉幕府の倒幕運動に早くから参加していた。1331年の「元弘の変」で後醍醐天皇が隠岐に流されると、幕府の追求を逃れるため、わずかな家臣とともに山伏を装って熊野に入った。これは「大塔宮の熊野落」といわれる。
現在の田辺市大塔村鮎川の小川地区を通りかかったとき、村の家々では正月の餅つきがおこなわれていた。空腹の一行は村人に餅を所望したが、山伏には一切の施し物や便宜を与えてはならないという厳しい布令が発せられており、村人は誰一人として餅を与えなかった。しかし、山伏の一行が出発した後になって、それが護良親王だったことを知る。村人は非礼を詫びて、それ以降600年間正月に餅をつくことをやめ、里芋の親芋である「ぼうり」を煮付けて食べるようになったという。
1935年、京都の大覚寺で営まれた護良親王の六百年忌に大塔村の村人も参列し、昔の非礼を詫びて600個の餅を供えて供養した。その後は正月に餅をつくようになったが、正月に「ぼうり」を食べる文化は今でも一部に残っている。

2024/5/5 9:47:57 登録

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