• No.6869
  • 料理・グルメ

茶粥 (三重県)

出典:農林水産省Webサイト(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/chagayu_mie.html)

明治時代の百科事典である古事類苑によれば、聖武天皇の時代から食べられており、今でも二月堂の「お水取り」の後、宿所で「ごぼう」と呼ばれる番茶仕立ての「茶粥」が食べられているとのことで、「茶粥」の歴史は古いらしい。水の量を増やすことにより米を節約するという米の収穫量の少ない地域で創意工夫された郷土料理である。「茶粥」を調理する地域では自宅の周辺に茶樹(ちゃじゅ)が植えてある。伊賀地域は耕地面積が少なく、白米は貴重なもので日常食としては食べる機会はなく、盆や正月、祭りや客のもてなしなどに食べるくらいだった。主食はだいたい麦飯と粥であり、かさを増やすために「茶粥」がよく食べられてきた。昔は三食とも茶粥とたくあんですませていたという。野菜や豆類を具として加えたり、具は飽きがこないように季節感を取り入れていた。また熊野地域の粥食が多かったことを 『朝かい昼かい晩もかい、夜食ないかい、もう寝よかい』という粥尽くしの歌があり、伊賀地域では「朝昼茶粥に夜おかい」といい表されている。松阪市飯南町粥見は茶産地であり、盛んに「茶粥」が食べられていた地域でもある。

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2024/4/27 13:20:33 登録

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