• No.6516
  • 料理・グルメ

干しいも (茨城県)

出典:農林水産省Webサイト(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/hoshiimo_ibaraki.html)

老若男女から親しまれているさつまいもの加工品である「干しいも」。茨城県は、全国の「干しいも」の生産量のトップを誇る。そのうちの大部分を生産しているのが、ひたちなか市、東海村、那珂市である。
「干しいも」の発祥の地は静岡県で、遭難した薩摩(現・鹿児島県)の船を大澤権右衛門(おおさわごんえもん)が助けたことをきっかけに、静岡県にさつまいもがもたらされたのがきっかけだといわれる。静岡県でさつまいも栽培が広がる中で、栗林庄蔵という者が、さつまいもを煮て包丁で薄く切ったものを干す煮切り干し法という手法を考えつき、これが「干しいも」のはじまりとなったといわれている。いつでも食べれられる、保存がきくといった利便の良さから、一気に関東まで広まっていったといわれる。
その後、静岡県沖で遭難した照沼勘太郎が、静岡県で目にした「干しいも」を茨城県でつくりはじめた。そして、那珂湊市(現ひたちなか市)でせんべい屋を営んでいた湯浅藤七や小池吉兵衛が「干しいも」の製造・販売をはじめたことによって、一気に生産量が増えたといわれている。阿字ヶ浦(あじがうら)の堀出神社には、「干しいも」を広めた人物として、吉兵衛の胸像がある。
戦争をきっかけにさつまいもが主食にとってかわったことで、一時期「干しいも」の生産は実質ストップしたが、戦後、県の推奨もあり「干しいも」生産が復活した。

2024/4/10 9:00:23 登録

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