- No.3408
- 料理・グルメ
はらこ飯 (宮城県/亘理町)
鮭の煮汁で炊いたご飯の上に、鮭とイクラをのせ、刻みのりなどを添えて食べる鮭の親子丼です。
鮭の漁が盛んだった亘理荒浜地方の漁師が考案したと伝わります。名の由来は諸説ありますが、イクラは鮭の腹にいる子だから腹子(はらこ)という説もあります。仙台藩主伊達正宗が亘理荒浜地方の運河工事視察を行った際に、地元漁師からはらこ飯を献上され、とても喜んだという言い伝えが残っています。
現在では、はらこ飯は全国的に有名になり、特に鮭が旬である秋頃には、多くの観光客がはらこ飯を目当てに訪れます。駅弁としても高い人気があります。
福島県から宮城県へと流れる阿武墨川は昔から鮭が上る川として有名で、藩制時代は仙台藩主はもちろんのこと将軍家にも秋の味覚として謙譲されていました。腹子飯は仙台藩主貞山公(正宗)貞山堀の工事臨検の際、亘理藩の漁民が、鮭の腹子を御飯に炊いて献上したところ、喜ばれ、側近へ伝えてのが全国に広められる始まりだったようです。腹子とはイクラの方言で、鮭の身と子をつかった「鮭の親子丼」ということです。
出典:農林水産省Webサイト(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/harako_meshi_miyagi.html)
宮城県には北上川、鳴瀬川、阿武隈川をはじめとする大小さまざまな河川があり、毎年秋になるとサケが産卵のために遡上する。そのため、白サケ類の漁獲量は全国トップクラス。100年以上も前から人工ふ化放流事業を行うなど、サケを守り育ててきた歴史がある。現在も県内に20ヶ所のふ化場があり、増殖と資源保護の努力が続けられている。
そんな宮城で、サケを使った郷土料理として最も有名なのが「はらこ飯」。これは、伊達政宗公が荒浜の運河工事を視察した折に、領民から献上されたことでも有名だ。「はらこ」とはこの地方でいくらを指す言葉で、サケの腹にいる子「腹子」からそう呼ばれるようになったという。
政宗公に献上する以前から、阿武隈川に遡上してくるサケを地引網で獲っていた地元の”漁師飯”として食されていた。各家庭によって味付けが異なるため、亘理では「うちのが一番」が合言葉になっている。
現代では煮上げたサケ、サケの煮汁で炊いた米、煮汁にくぐらせたいくらをそれぞれ盛り付けるが、昔はすべてを混ぜ合わせた「混ぜご飯」だったという。現在つくられているはらこ飯とは違ってシンプルな見た目だが、荒浜婦人会では、この元祖の味を伝承するべくさまざまな活動を行っている。
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2014/6/20 19:37:13 登録 2024/4/5 15:09:07 更新
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