• No.7177
  • 料理・グルメ

豆腐の梅酢づけ (高知県/津野山地区)

出典:農林水産省Webサイト(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/tofunoumezuzuke_kochi.html)

日本で豆腐が食べられるようになったのは平安末期のことである。中国から伝来されたといわれている。
高知県では、土佐国の戦国大名である長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が朝鮮出兵した際に連れ帰った朴氏によって伝えられた。土佐藩主の山内一豊も唐人町での豆腐の専売を推奨していたとされる。当時、呉(大豆を水に浸してすり潰した液)を布袋でしぼった汁を煮て、にがりを入れて凝固させる「生しぼり式」で豆腐がつくられていたが、現在は衛生上の問題から、呉を加熱してからしぼる「湯とり式」がおこなわれている。豆腐は神事や正月のお祝いなどに振る舞われるごちそうで、家で手づくりする家庭も珍しくなかったという。
「豆腐の梅酢づけ」は、津野山地区に伝承される郷土料理である。この地区でつくられる豆腐はかたいことが特徴。「豆腐の梅酢づけ」は、かための豆腐を梅酢に漬けたもので、保存食としてつくられてきた。高級料理としても高値で取引されていたという。
梅酢で染まった赤い見た目があざやか。塩分が高く、しっかりとした味わいである。

2024/5/7 12:51:27 登録

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