- No.7006
- 料理・グルメ
梅干し (和歌山県)
出典:農林水産省Webサイト(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/umeboshi_wakayama.html)
江戸時代、稲作ができないやせ地は年貢が免除される免租地だった。紀州藩田辺領はやせ地が多く、農民は重い年貢に苦しんでいた。そこで田辺領の城代家老、安藤直次が、農民の年貢の負担を軽減するために、やせ地に自生していた「やぶ梅」に注目し、栽培を推奨した。これが本格的な梅栽培のはじまりとされている。温暖な気候に加え、低い山に囲まれ日当たりの良い気候風土が梅栽培に適していたため、県南部地域を中心に栽培が広がっていったといわれる。その後、高品質な「梅干し」が生産され、江戸でも「田辺梅」として称賛されるようになった。
明治以降になると、日清・日露戦争や第二次世界大戦で軍用食として「梅干し」の需要が増加し、生産量が増えていった。また、明治10年代にはコレラや赤痢が流行したことで、「梅干し」需要が増えた。
大粒で肉厚な現在の「南高梅」は、昭和40年 (1965年)に、長年にわたる優良系統探索の末、選抜され品種登録されたものである。毎年1月末から2月末にかけて梅林に梅の花が咲き誇り、その景色は「一目百万、香り十里」といわれている。
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2024/5/2 19:57:53 登録 2024/5/9 8:51:16 更新
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