• No.6639
  • 料理・グルメ

すき焼き (東京都)

出典:農林水産省Webサイト(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/34_17_tokyo.html)

すき焼きとは醤油、砂糖、酒をベースにした割り下に、牛肉にネギ、春菊、焼き豆腐などの具材を添えて共に煮た料理。現在、東京の老舗店では関東大震災後より熱した鍋に牛脂を入れて溶かし、牛肉を炒めてから残りの具材と調味料を入れて煮込む、関西と同様の調理法が主流となっている。
江戸時代中期、関西には元々農具の鋤(すき)を鉄板代わりにして貝や魚を焼く「魚すき」「沖すき」と呼ばれる料理が存在していた。その鋤で牛肉を焼いたものを「鋤焼(すきやき)」と呼ぶようになったのが語源とされる。とはいえ、これは関西の話。
675年の天武天皇による所謂,食肉禁止令以来、日本において牛や馬は大切な労働力であったなどの理由のため、公には食することができなかった(江戸後期になると彦根藩井伊候が、将軍家に牛肉の味噌漬けを送る記録があるなどある程度食されていたことが分かる)。解禁となったのは明治維新以降のこと。1859年(安政6年)の横浜の開港とともに、1860年(安政7年)江戸・高輪にイギリス公使館が設けられ、牛肉の注文を受けるが、横浜まで仕入れに行くのは丸一日がかり。そこで、芝白金に牛の処理場を作ったことから、肉食文化が広まり、東京では「牛鍋」と呼ばれる料理を提供する店が次々とオープン、大流行する。牛鍋は肉食のたたりから解放された庶民のご馳走とされ、文明開化の食の代表と言えよう。
当初は獣臭をやわらげるために味噌ベースが主流だったが、肉質の向上により豆腐やしらたきといった具材が加わり、醤油、砂糖、酒を調合したたれで煮るようになった。しかし、大正12年の関東大震災を機に、東京の牛鍋屋は大打撃を受け、ほとんどの店が閉店に追い込まれる。その後、牛鍋の関西の呼び名であった「すき焼き」が関東に伝わり、呼び名も統一されることになる。関西では牛肉を焼いたのち、割り下や野菜を入れるのに対し、関東では専門店は関西同様の作り方であるが、家庭においては割り下を煮立たせ、肉と野菜を同時に入れるのが主流。

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すき焼き

2024/4/17 16:03:31 登録

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