- No.4121
- 料理・グルメ
鯉のうま煮 (山形県)
鯉は、かつてはの内陸農村部の最高のタンパク源だったといえるでしょう。養鯉は米沢藩の上杉鷹山公が動物性タンパク質に乏しい領民を案じ、取り入れたものです。当時は農家の台所の排水口に池を作り、流れ出る台所くずで養殖していたのだそうです。現在でも置賜の鯉は、豊富な湧き水のおかげで泥臭くなく、冬の厳しさによって身が引きしまった逸品として大変人気があります。
出典:農林水産省Webサイト(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/koinomani_yamagata.html)
「鯉のうま煮」は、コイを輪切りにし、砂糖・醤油・酒で煮た郷土料理。コイはかつて内陸農村部で貴重なタンパク源として食べられていた食材。1802年、米沢藩9代目藩主・上杉鷹山公が、内陸で水産資源が乏しい米沢の地で滋養のある食材を確保するために、コイの養殖を進めるように提案したことがはじまりとされている。家の排水口近くに池(せせなと呼びコイを飼う場所とした)をつくらせ、流れてくる米のとぎ汁、残飯やまゆみ(蚕のさなぎ)をえさとしてコイを育てた。
コイは高級品だったため、庶民はもっぱらハレの日にコイ料理を食べるのが一般的だった。コイの養殖は、置賜地域を中心に盛んになり、大正から昭和にかけて発達した。当地のコイの養殖方法は、きれいな湧き水を用いたり、地下水で畜養することで泥を吐かせるなどの方法が取られた。
米沢市周辺で養殖されたコイは、厳しい冬の寒さによって身も引き締まっていて質が良いといわれ、「米沢鯉」というブランド名で、米沢牛、館山りんごと並ぶ地域の名産品となっている。しかし、近年は生産者が減少傾向にあるという。
「鯉のうま煮」がよく食べられるようになったのは、砂糖が入手しやすくなった日露戦争後と伝わる。ほか、味噌で煮こんだ「鯉こく」や切り身を冷水にくぐらせた「鯉のあらい」にしても食べられている。
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2014/7/6 11:27:40 登録 2024/4/9 10:10:11 更新
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