- No.3926
- 料理・グルメ
納豆餅(なっとうもち) (京都府/丹波)
丹波山間地において、正月三が日は祝い餅として雑煮代わりに豪快な納豆餅を食べる。直径約15cmもある大きい丸いのし餅を焼いて、きな粉の入った飯切りにいれ、手のひらで押して平らにし、その上に塩であえた納豆を一面に広げる。更にもう一枚餅を置き、納豆をのせて柏餅のように2つにおり、形を整える。
出典:農林水産省Webサイト(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/nattomochi_kyoto.html)
納豆発祥の地は日本各地に諸説あるが、京都府もその一つであるといわれている。京都市右京区の京北地区にある常照皇寺で修行をおこなっていた光厳法皇が、村人から献上された藁苞(わらづと)に包まれた煮豆を食べていたところ、日を経るごとに糸を引くようになり、それが美味だったことがはじまりだという。寺に所蔵されている絵巻にも住職が藁苞納豆を振る舞う様子が描かれている。やがて、珍味として京都御所に納められるようになったことから“納豆(豆を納める)”と呼ばれるようになったといわれている。そのため、当時は、正月など、ハレの日に食べる貴重な食材という意識が庶民の間に根づいていった。
また、京北地区は、戊辰戦争を戦った山国隊の発祥の地でもあり、この農兵が出兵の際に納豆を持参したという逸話もあり、現在、京北地区の名産にもなっている“山国納豆”の名はここからきている。食料が満足にとれない時代、貴重なタンパク源であった納豆を、腹持ちの良い餅で包んで食べる「納豆餅」は、農兵たちにも好まれたという。当時の「納豆餅」は顔と同じくらいの大きさがあり、正月三が日かけてこの餅を食べたといわれている。
京北地域以外にも南丹市日吉町、美山町でも「納豆餅」をつくる風習があり、それぞれの地域でつくり方や形が異なる。
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2014/7/3 12:50:15 登録 2024/4/30 16:54:57 更新
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